私たちの活動を報告します
2013年6月 【猫サブレ】が販売されました
2013年6月 【忠義な猫】がCDになりました
2015年1月 【忠義な猫でまちおこしの会】が表彰されました
2015年3月 【紙芝居(ダイジェスト版)】を作成いたしました
2015年12月 【忠義な猫の神社】を設計中です
2016年5月 【忠義な猫でまちおこしの会】が横手かまくらエフエムで紹介されました
紙芝居(ダイジェスト版)を作成いたしました
忠義な猫とは? そんな疑問にお答えいたします
忠義な猫(秋田・横手市平鹿町)
■人々を守った“命の番人” 【※ 産経ニュースより ※】
忠犬ハチ公の故郷は秋田県北の大館市だが、県南の横手市平鹿町には「忠猫(ちゅうびょう)」と刻まれた碑がある。明治時代の大地主、伊勢多右衛門(たえもん)(1833~1914年)の庭園だった浅舞公園の片隅にあるこの碑の意味は、地元の人にも知られていなかった。
「『忠猫』ってなんだろうと、ずっと疑問でした。三味線に使った猫を弔う碑なのかもしれないと。でも、それなら『忠』じゃないし…」そう思っていた社会福祉法人理事長の畠山博さん(76)は4年前、小学校教諭の簗瀬(やなせ)均さん(56)に伊勢家の古文書を読み込んでもらい、次のような経緯を知った。
多右衛門は貧しい人を助けたり凶作や災害に備えるために、感恩講という慈善組織をつくり、コメを蓄えていた。庭園を人々が憩う公園にする工事も進めていた。
ところが、村のあちこちにある米蔵はネズミに荒らされ、庭園は野ネズミやヘビによって木や側溝、堤に被害が出ていた。すると、飼っていた白まだらの雌猫が米蔵を回ってはネズミを捕り、庭園の野ネズミやヘビも10年ほどかけて絶滅させた。多右衛門は自分の意を体して働く猫に感動した。その姿は、神仏が乗り移って人々を守ろうとする「命の番人」に見えた。生涯、子供を産まず、聖女のようだったという。
猫は明治40(1907)年2月15日、13歳で死んだ。多右衛門は翌年、この話を末永く伝えようと、庭園に碑を建てた。「永遠にこの功徳を伝えたい。碑を見る人々よ、忠義な猫の功績を忘れないでほしい」。多右衛門はそう書き残した…。
忠猫碑の真相を知った畠山さんは「忠猫の話は全国的に珍しい。この史実をまず地元の人に知ってもらい、さらに地域振興にもつなげたい」と考え、有志と一緒に準備。2年前に「『忠義な猫』でまちおこし推進委員会」を発足させ、会長になった。
忠義な猫にちなんだ歌のCDを作ったり、詩人や民話の専門家に頼んで昔語りに仕立ててもらったりした。「忠義な猫杯」カラオケ大会を開催。観光土産にと、「招福猫サブレ」も発売した。今後は踊りも創作する予定だ。学校現場でも取り上げられている。平鹿中美術部の生徒たちが絵を描き、横手高放送部が編集して紙芝居DVDを制作。浅舞小の児童の研究成果が小学校社会科研究発表会で発表され、高い評価を受けたこともある。簗瀬さんは「動物だって人に尽くすこともあるんだと、子供たちに感動を与える話。教材に適しています」と話す。
忠猫碑は来年、浅舞公園に隣接する浅舞八幡神社の境内に移設される予定だ。近くには「忠義な猫」に関するパンフレットなどを置く案内所も設ける。
「今後は行政も巻き込んで、全国にPRしていきたいと思います」。畠山さんの夢は膨らむ。(渡辺浩)
【忠義な猫でまちおこしの会】のあゆみ~その1
平成27年1月、「元気なふるさと秋田づくり顕彰事業」で受賞され、表彰状をいただきました。同年3月には平鹿生涯学習センターにおいて祝賀会が催され畠山会長は【よりいっそう、地域の発展のために活動を進めていきたい】と挨拶されました。
【猫サブレ】が販売されました。
【忠義な猫】がCDになりました
【忠義な猫の神社】を設計中です
【忠義な猫でまちおこしの会】が横手かまくらエフエムで紹介されました
≪愛猫家の聖地オープンに向けて≫
ボランティア団体「忠義な猫の会」は、浅舞公園にある忠義な猫の石碑などを保存する「忠猫の館」のオープンに向け、現在クラウドファンディングを使ってひろく資金協力を呼びかけています。
日本一の愛猫家の聖地となる施設をオープンさせたい!との思いから始まったこのプロジェクトは今月6日から始まっていて、7月15日までの間、資金協力を募っています。目標総額は、190万円。支援金額に応じて、様々なリターンが用意されています!
詳しくは下記のリンクをクリックして下さい。詳細は【横手かまくらエフエム】さんのページにて、ご紹介いただきました。
http://fmyokote.seesaa.net/article/437791619.html