【忠猫(ちゅうびょう)の名前調査】
忠義な猫の実名は何だったのか?
以下は当会の堀田さん(副会長)が調べたものです。
飼い主にあたる伊勢多右衛門氏の資料は沢山ありましたが、猫の名前の記録が伊勢家の古文書にはありませんでした。
そこで、忠猫の碑が建立された明治41年、男鹿の寒風山の石に「忠猫」の文字を篆刻(てんこく)した「石川素堂」という人物に目をつけました。
高僧として名高い素堂は、曹洞宗8代管長、本山にあたる総持寺4世であり、明治31年(1898)石川県能登の大本山総持寺焼失により、その復興に努め、神奈川県鶴見に本山移転の大事業を成し遂げています。
当時、素堂は全国行脚し、お金持ちから本山復興のため寄付を募っていました。
猫のいる浅舞にも立ち寄り、伊勢家からも相当な寄進があったものと思われるが、この際、忠義な猫の功徳を称え、忠猫(ちゅうびょう)という名前を授けたという記録が残っています。
このような高僧は、滞在中、猫の実名を聞いていれば、日記や手帳に記録を残していたのでは? と思い、鶴見の総持寺に調査を依頼、その後、寺院に立ち寄り結果を聞きました。
残念ながら名前は判りませんでした。調査は続きます!
コメント