忠描とは・・・

公園と米を守った 「 いのちの番人 」 忠義な猫の物語

伊勢多右衛門氏

伊勢多右衛門氏

平鹿郡浅舞村 ( 現横手市平鹿町浅舞 ) の伊勢多右衛門(1833 ~1914年 ) は慈善家として知られていました。凶作などの時、困窮した民衆を救うため感恩講(民間救助機関)を組織し、多右衛門は倉庫に米を備蓄しました。また人々に憩いの場を提供するため私財を投じて浅舞公園の工事にかかりました。しかし、野ねずみが大量に発生し倉庫の米を食いあさり、公園の樹木や側溝、堤などまで破損させました。多右衛門は深く憂いました。すると多右衛門が飼っているメス猫が、主人の願いをくんでねずみを退治しました。1907年 ( 明治40年 )2月15日、猫は13歳で亡くなるまで、日夜ねずみ退治に明け暮れました。こうして民衆の命を守る感恩講の米は守られ、浅舞公園も完成しました。多右衛門は、世に稀な、この忠義な猫の功績を後世に末永く伝えたくて、ここに碑を建立したのだった。

忠猫の碑

浅舞公園に建立された「忠猫の碑」

組織図

会  長 畠山 博
副 会 長 堀田賢逸
広報担当 本多和芳
会  計 奥山浩太
監  事 菊地謙逸

会員名簿

※50音順で表示しております。

氏  名 住  所 担  当
宗教法人 浅舞八幡神社 横手市平鹿町浅舞 賛助会員
浅舞感恩講保育園 横手市平鹿町浅舞 賛助会員
伊藤 冨二郎 横手市平鹿町醍醐 賛助会員
菅原 卓美(浅舞大野石材店) 横手市平鹿町中吉田 賛助会員
高橋 弘美 横手市平鹿町浅舞 賛助会員
戸部 英二 横手市平鹿町下鍋倉 賛助会員
畠山 博 横手市平鹿町浅舞 会長 賛助会員
ハロー 横手市平鹿町浅舞 賛助会員
株式会社 平鹿自動車学校 横手市平鹿町浅舞 賛助会員
堀田 賢逸 横手市平鹿町醍醐 副会長 賛助会員
本多 和芳 横手市平鹿町浅舞 副会長 賛助会員
横手コミュニティエフエム放送株式会社 横手市駅前町 賛助会員
宗教法人 龍泉寺 横手市平鹿町浅舞 賛助会員
渡部 享志(トータルエンジニアリング株式会社) 横手市平鹿町樽見内 賛助会員
井川 良子 湯沢市中野
伊勢 弘子 横手市平鹿町浅舞
近江 公人 横手市平鹿町浅舞 HP制作協力
奥山 浩太 横手市平鹿町浅舞 会計
小野 タヅ子 横手市平鹿町浅舞
小野 宏 横手市平鹿町浅舞
柿崎 常樹(天の戸) 横手市平鹿町下鍋倉
菊地 謙逸 横手市平鹿町上吉田間内 監事
栗田 勝文 横手市平鹿町樽見内
黒沢 精子 横手市大屋新町
佐々木 勲 横手市平鹿町浅舞
佐々木 誠一 横手市平鹿町浅舞
佐藤 清一 横手市平鹿町醍醐
佐藤 由勝 横手市平鹿町醍醐
佐野 長治郎 横手市平鹿町樽見内
柴田 照子 横手市平鹿町醍醐
社会福祉法人 ひらか福祉会 特別養護老人ホーム あやめ苑 横手市平鹿町浅舞
高橋 俊悦 横手市平鹿町醍醐
高橋 義男 横手市平鹿町醍醐
たかはら てるお 横手市安田
俵谷 實 横手市平鹿町浅舞
照井 静信 横手市平鹿町浅舞
長沢 幹夫 横手市平鹿町上吉田 副会長
長沢 政弘 横手市平鹿町中吉田
長澤 稔 横手市平鹿町上吉田
西田 貞夫 横手市平鹿町浅舞
長谷川 吉富 横手市平鹿町浅舞
畑 則子 横手市朝倉町
便利屋まごの手 横手市平鹿町醍醐
丸谷 成三 横手市平鹿町浅舞 監事
吉見 秀雄 横手市平鹿町浅舞
株式会社 オアシス 横手市梅の木町9-3
石川 靖子(平鹿町図書館司書) 外部協力者
伊藤 光 盛岡市館向町 外部協力者
おかしの加賀屋 横手市平鹿町浅舞 外部協力者 デザイン担当
小林 忠通 横手市婦気大堤 郷土史研究家
佐藤 節子(JA助け合い組織 会長) 外部協力者
菅原 正志(市議会議員) 横手市平鹿町醍醐 入会予定
俵谷 真紀子 川崎市中原区 外部協力者 Facebook担当
村田 高大 横手市平鹿町浅舞 事務担当

「忠義な猫」推進委員会 会則

忠義な猫_会則

忠義な猫_会則

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